大きな挫折は人生の糧となるのか?

こんにちは。ASDハック(ASDhack_)です。
今回は「大きな挫折は人生の糧となるのか?」についてお話しようと思います。

私がこの記事を書こうと思った理由は・・・ちょっと悔しいことがあり、愚痴みたいなものです。
正直、まとまっておりません。
それでもいいと思われる方は、以下をお読みいただければと思います。

目次

「死にたい」とばかり考えていた20代前半

鬱の発症は、正直いつだったのかはわかりません。
明らかに重症化したのは、20代前半の時でした。
これが大きな挫折の始まりでした。
20代前半は「死にたい」気持ちが最も強かった期間でもありました。
しかし、当時の私は精神科や心療内科について、あまりよく知りませんでした。
ですから、死にたくなってもそれを押し殺し、仕事をしていました。
そのうちに、遅刻が明らかに多くなり、身なりもぼろぼろになっていき
家族の一人に相談したところ、病院に行くことを勧められました。

失ったものたち

鬱のために、まず失ったのはもちろん仕事でした。
鬱が重症化してしまったので、仕事ができる状態ではありませんでした。
それに伴い、お金を失いました。
働かなければお金は入ってきません。
しかし、税金や実家への引っ越しなどで出て行くお金は大きく
貯金も少なかった自分にとっては大きな痛手でした。
お金がなかったので、歯医者に行けず、歯の健康も失いました。
鬱だったので、碌に遊ぶこともできません。
友人とも距離ができていきました。

社会福祉を得るまでに苦労したこと

自立支援も傷病手当も傷病手当金も障害者手帳も障害年金も
誰も何も教えてくれませんでした。
だから、受け取れなかったお金も多いし
払わなくて良かったお金も、払ってきました。
鬱でフラフラになりながら、手続きのための書類を読んだり
実際に手続きに行ったりすることはとても負担になりました。
鬱が重症化してからは、脳機能の低下のせいだと思いますが
字を読むこと、文字を書くこと、それすらも難しくなっていたので
書類を書くときに、誤字脱字がどうしても多くなってしまうのが辛かったです。
自分に必要と思われる社会福祉のことは、全部自分で調べました。
当時の家族は、病院や役所に、一度も付いてきてくれませんでした。
また、その時に住んでいた地方の自治体の障害福祉課の職員に
心無い対応をされたこともありました。
それらのことを乗り越えて、やっと手にした社会福祉のおかげで
随分と生きやすくはなりましたが、やはり
もっと手続きがネットなどでも簡単にできればどんなに良かったかと思わざるを得ません。

(2021年現在)11年の長きに渡って、鬱を患い思うこと

正直、この期間さえなければ...
もっといろんなことに挑戦したり経験したりできた可能性があると思うと
腹わたが煮え繰り返りそうな気持ちになります。
普段は、自分は自分と割り切っているのですが
やはり同年代の人の、成長が早い姿や恵まれているところを見たりすると
自分ってなんなのだろうと思ってしまったりします。
(そんな人も、何かしらの苦労はなさっていると思いますが・・・)
周りのすごい人と比べてしまって、自分だって本当はこのくらいできたかもしれないと思うと
自分の存在価値がわからなくなります。
この11年間は、自分にとって大きな挫折だったと言えるでしょう。

まとめ/管理人コメント

「大きな挫折は人生の糧となるのか?」、いかがだったでしょうか。
少々の挫折は、人の気持ちを理解したりすることに役立つことと思います。
しかしあまりに大きな挫折は、人生に暗い影を落としかねないと思う次第です。
ただ、一つ良かったなと思うのは、
こんな自分の人生に嫌気がさし、「幸せになろう」と決めてからは
幾分かは人生が本当に幸せな方へ向かっていきました。
社会福祉にも、詳しくなりました。
そして、自分に合わない環境からは距離を置くようになりました。
結果的には、失うものが多かったものの、得たものもあったということです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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